岡田ユキの歩み
バングラディッシュのアグラサラ孤児院を訪問しました。
今の日本人がすっかり忘れていた、大切なことを思い出すことが出来ました。
大人には理解出来ないけれど、子供達には理解できる
私の著書「みにくいあひるの子供たち」
プロフェッショナルがいなくなった日本
私と同じような体験をした子供たちに囲まれて
「あなた、子どもを買ってはいけませんよ!」
「恨み憎む」「うらやみねたむ」からこそ、問題が生じ、嫉妬する人は必ず我が身に不幸を引き寄せます。
私も他人に対してうらやましいと思う時はありますが、私は「その人から学ばせてもらおう」と思えます。
東日本大震災で感じた恐怖が、すっかり忘れていた過去の不安感を思い出させました。
震災に遭われた方は、とても怖かったと思います。
またその後の不安感も、きっと消えない事でしょう。
誰もが求めている「愛」というのは実は、幼少期の家庭や成長プロセスによって、ひとそれぞれの求める「愛」は異なります。
幼少期の家庭で親から教わるべき大切な「愛」を教えてもらえなかったり、親の「愛」そのものが欠けている人が大勢います。
ユニバーサル・トワイスボーンは、日本古来の家庭で親が子供に教えてきた「愛」を学べる場所として、立川至誠学園にて開校いたしました。
毎夜、私が作った「未熟な母(実母)を叱る」テープを聞いていると、私の母は、私と何が違うのか?
未熟な母親が努力をして本当の母親になるには
動画を是非ご覧ください。
固い約束
私を一番理解してくれて、陰で支えてくれた叔父です。
父親の一周忌、母親の三回忌を同時に行いました。
何かわからないものに、突き動かされる衝動
この子がいなければ、今の私はなかった。
私を支えてくれた友人との思い出
幼少期から現実が苦しくて、必死にそれを乗り越えてきた自分がいた。
ふと気が付いたら、すっかり大人になって強くなり、以前の自分らしさを忘れていた。
ある日、子供の頃から怖かった「私の怖いもの」を見て、未だに弱くて泣き虫だった子供らしい自分の一部が残っていて嬉しかった。
母には「苦しまず安らかな最後」を迎えられて「天国に行けたらいいな!」と言うのが私の思いでした。
普通の人には理解できない、被虐待体験者による私ならではの親孝行を重ね努力したつもりでしたが、母にはその思いは通じず、残念ながら自業自得の最後でした。
幼少期から年に数回しか会えませんでしたが、彼女の愛情が私の家庭は機能不全と言うことを気付かせてくれるきっかけになりました。
富士山は私の父親。
葬儀で何十年ぶりかに会った友人が、初めて兄が私に投げかけた言葉を聞いて驚いた。
「長年このような非道い言葉を言われ続けてきたならば、さぞや苦しかっただろう」と言われた。
普通の親は「兄妹仲良くしなさい」と言うが、私の両親は、どの子が親に一番尽くすか兄妹を競わせた。
その結果、兄妹はライバルとなって憎しみ合っている。
自分の天命とは何なのか?
前世・現世・未来を通じて私がこの世で果たすべき仕事は何なのか?
答えの1つを伝えてくれたのが、矢沢永吉さんでした。
バブさんとの出会いによって自分の生き方を見つけることが出来ました。
実績
スタッフが綴る岡田ユキ先生の素顔や真実を綴っています。
ダルメシアンへの鑽仰~I'm big fan of Ms.Yuki Okada.~
発達障害と診断され、一度は障害者として生きる道を選んだが、自分自身で納得できない問題が起こり、そこから岡田先生のカウンセリングを受け、本来の生き方を取り戻すまでの過程を綴りました。
岡田ユキとスマナ・バルア博士(元WHO部長)との出会い
現役看護師、けいあいファミリークリニックカウンセリングルーム
CAP専門カウンセラー小沼よしえのブログ