「岡田式PMT音楽療法」
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<音楽の歴史>
人類がまだ言葉を使う以前のコミュニケーションは「ノンバーバル」しか
ありませんでした。
しかし、すでに原始的な打楽器や口笛、指笛のような手段で音を出し、何らかの情報伝達手段としていた可能性はあります。
5千年以上前の縄文時代の遺跡から発見された遺物においても、明らかに簡素な楽器らしきものが出土しています。
日本以外でも同じように原始的な楽器と呼べるものは多く出土されていますが、時代を経てそれらの楽器はシャーマニズム的信仰の儀式などに使われ、
そこから簡単な歌謡や舞に発展し、現代の芸能や芸術に繋がったと考えられています。
その後、音階を発見した人類は音が空気の振動やその周波数によって音程が変化するという理論はわからなくても、楽器の調律や製作時の調整でなんとなくその響きの違いがあるということを理解し、少しづつ進化を遂げました。
紀元前6世紀頃、三平方の定理で知られているピタゴラスのような数学者が登場し、音程を数学的に理解し、「ピタゴラス音律(ピタゴラス音階)」の構築に至りました。
ピタゴラスは音楽も含めて天体の秩序、すなわち宇宙全体の秩序も数学的比例関係とその調和(ハルモニア)によって成り立っていると考えました。
現代において特殊相対性理論と量子力学の理論の整合性を持つ大統一理論の構築に、その可能性の一つであるとされるM理論(ヒモ理論の統合進化した)が有名ですが、全ての物質の根源である素粒子を構成しているのがひものようなものであり、それの振動と11次元のパラメーターで数学的に説明がつくのではないかと期待されています。
分かりやすく音楽用語で例えると、チューニングとコードで色々なサウンドの響きが変わるということで、物質の根源もそれと同じという意味になります。
あながちピタゴラスの言っていることも的外れではないということです。
その後、欧州においては音楽は宗教と結びつき(宗教が音楽を利用した)ました。
当時、聖書はラテン語で書かれていて、聖職者しかその言葉に触れることができなかったため、一般大衆に信仰や教義を理解させ、納得させるための手段として効果的に音楽が用いられました。
そして、兵力、軍事力を持ち続けることによる安全保障の費用対効果の悪さに気づいた貴族や王族たちが、才能のある音楽家、演奏家、作曲家を召し抱え、宮廷音楽家として利用しました。
支配者はいかに優れた才能を自分が所有しているか、ということを他国に誇示することによって、権威の象徴や、領土安全保障、諜報活動、政略的婚姻などに音楽を利用していました。
そのような中で、宗教や支配者に利用されてきた音楽ですが、徐々に人間に与える心理的な効果が間違いなく存在しているということに多くの人が気づき始めます。
そして私が研究してきた哲学・心理学・音楽・科学を融合したのものがPMT(Popular Music Therapy)です。
心理学にはこれまでフロイトをはじめ、四つの勢力があるとされてきましたが、私の理論はそれらの根元に位置するものです。
強いて言えば「第0勢力」と言えば良いでしょうか。
岡田ユキ
<岡田ユキと音楽>
岡田ユキは、京都の西陣で生まれました。
実家は代々続く西陣の大店の着物問屋でした。
芸術家や能役者も多く出入りし、気に入った演者のタニマチをしたりする音楽好きの一家でした。
大叔父はプロの能役者になる程、その道に傾倒し父親も謡いに関してはかなりの名人でした。
知人に結婚式などの祝い事があると「高砂屋」を披露してほしいと呼ばれることも多々ありました。
岡田ユキが生まれる頃には、さらに民謡も嗜み尺八の講師として本業とは別に休日は多忙を極めました。
母親は日本舞踊が得意で、京都の祭りの行列でもよく呼ばれて踊っていたそうです。
1960年頃には西陣は着物生産の全盛期を迎え、どの着物屋も多忙を極めていました。
そのため子育てに時間を割く余裕がなく、岡田ユキの家庭も同じように両親共働きだったため、当時まだデビュー前だった都はるみが子守のアルバイトとして小さかった岡田ユキの世話をしていました。
その当時、都はるみは現在のような演歌歌手ではなくアメリカンポップスを歌っており、子守の時も口ずさんでいたことから、その影響が岡田ユキの音楽性(ポップスやジャズ)に反映されているかもしれません。
家の中ではクラシック音楽が日常的に流れており、二人の兄はクラシック音楽の道へと進みましたが、岡田ユキは10代の頃からクラシック音楽に影響を受けたロックやポピュラーミュージックが大好きでした。
QueenやELO、ユーミンなど聞いて育ちましたが、その声がジャズに向いているとスカウトされ、ジャズシンガーを志すことになりました。
その後、有名なアーティストの織田哲郎、矢沢永吉と出会い、岡田ユキの才能を活かせる「オリジナル曲をやったほうがいい」と勧められ、シングルマザーの子育て体験から「カケ算ラップ」などの曲を作詞・作曲しました。
「平安建都1200年祭」(京都)のテーマソングも高評価を得て受賞しました。
プロとしてダンスホールのステージで歌っている時に、ダンスフロアで楽しんで踊る高齢者の変容が来場時とあまりにも違うことに気がつき、音楽療法の可能性に目覚めました。
自分自身の才能を音楽療法に活かし活動の場を広げていく中で、東京都新宿区より講師の仕事を依頼されました。
また、作詞・作曲においては、海外の団体からテーマソングを作曲してほしいと依頼されることもありました。
平和の祈りを込めて靖國神社の音楽法要のために作詞・作曲したテーマソングも、靖國神社が是非CD化して欲しいと言うことで、「遥かなる時を越えて」という作品となり、靖國神社の遊就館でも発売されました。
岡田ユキの音楽療法は、日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)にも認められて、「頑張ってね」と声をかけていただきました。
岡田ユキ所長はさまざまな苦難を乗り越えて、子供化している大人を育て直すために「Rock鳴館プロジェクト」(音楽療法の場所)を立ち上げて、日本人が自らのアイデンティティを取り戻し、再び日本が豊かな国になり、子供たちが安心して生活出来る平和な世界が訪れるように日々奮闘しています。