本当の活動と人の命とは

15、「岡田式AC判別法」が確立するまで

「人間は100%、完璧なことは出来ないから、自分達も努力はしているが、間違って死に至たることがあっても、仕方ないですよね!・・・私達も人間ですから、間違いは犯します」と同じ言葉を、どの行政機関に行っても聞かされました。
彼らの言う「間違って死に至ることがあっても、仕方がない」と言うのは、仮に子供が親から「トマトを買ってきて」と、お使いを頼まれて、間違ってリンゴを買ってきた子供に向かって言うような言葉と同じではないでしょうか?
あまりにも人間の命を軽視している職員達に私は大変怒りを覚え、彼らに質問せずにはいられませんでした。
「あなたたちは人の命を何と考えているんですか?・・・殺人は重罪ですよ!・・・ましてや市民の税金でお給料をもらいながら、命を守ることを優先しない、他にどんな重要な仕事があるんですか?」と、尋ねても「私達の仕事には限界がありますから」と言われ、全く私の話に取り合おうとしませんでした。
「では仮に、あなたのお孫さんやお子さんが児相がらみで命を落としたら、悲しくないのですか?・・・悔しくないのですか?」と問いただしたところ「自分の身内の出来事ならば、それは大問題ですから何としても阻止します」という回答でした。
その言葉に一瞬私は戸惑い、その意味が理解できませんでした。

彼らが話した言葉は理解できるのですが、まさか大人がそのような非常識な子供じみた発言をするとは信じがたく、ましてや行政の職員という立場の人間が、恥もなく堂々と言いきることに驚愕しました。

 

★2018年、元消費者庁長官・福嶋浩彦さんの勉強会に参加する機会がありました。
その現場での発言を目の当たりにして、公務員のずれた感覚は、前述の体験が有るがゆえに驚きはしませんでしたが、今振り返れば当時より現在の方が、より幼児化が進み酷くなっていました★

 

しかし、この出来事がきっかけとなり、彼らと私とは「まったく逆のタイプ」だということに気が付きました。 
私の言葉や常識が通じなかったのは、大人が子供に話していたからです。 
このタイプの大人は、無責任で自己中心的で、内面は子供のままです。

私は彼らの「大人」という外見に騙されて、相手に敬意を払い「大人の常識」を持って接し、話していたのですが、相手は「内面が子供」なので、私の話す内容(自分の言葉に責任を持つ大人の話)は難しすぎて、彼らには全く理解出来なかったようです。
そう考えると、私の親兄弟を始め、当時の私の身近にはこのタイプの人間が多く、大人だと思って相手の立場を尊重し自分の事は謙遜(日本人女性としての慎ましさ)しながら、接してきた事が伝わらず、彼らは私の事を「優しい人」と認識して、それがいつの間にか自分に都合よく解釈が変わり「優しい人は、弱い人」になって、最後には「弱い人は、奴隷のように何をされても怒らない人」という、身勝手な妄想で「優しさ」をはき違えて、私に無理難題を押し付けてきました。
この出来事から「何故、自分が誠意を持って接していた身近な人間に、苦しめられるのか?」という原因がはっきりと判りました。

虐待を受けている子供たちは私を含め「アダルトチルドレン」として、幼少期から外見は子供であっても、周りや大人に気を遣い、失敗しないように「完璧」を求めて生きています。
なぜならば、前述の「外見・大人な、内面・子供」の親が、子供の失敗を許さず、ひどい時にはその失敗が原因で、虐待死させているからです。
そのような環境で育った幼少期の私でしたので、何事も慎重に、こと細かく親や他人の気持ちを考えながら「失敗(不快感を与えない)」しないように注意を払い、生きてきました。

そこで彼らと出会い、失敗しても許される「ぬるい世界」があることを知りました。
「他人の事は知らないけれど、自分に関係あるならば力を注ぐ」と、あまりにも自己中心的すぎる言い分がまかり通っていた現実社会に、大変驚かされたのです。

その体験から、世の中には大きく分けて、3タイプの内面を持つ大人や子供がいる事が、はっきりと見えたのです。

★前述のような「人間は100%、完璧なことは出来ない」と言い切って、努力しない人達(50%タイプ)
★私の友人で「100%出来ないけれど、次はどうすれば出来るのか?」と、試行錯誤している人達(100%タイプ)
★私のように、幼少期に親から100%を求められて、それが出来て、尚且つ大人になって親から200%の事を求められ「出来ない」と、悩んでいる人達(200%タイプ)

この体験により、3つのタイプが分かり学習した私は、行政機関や虐待に関係する組織の関係者との付き合い方もタイプ別に変える事で「人間関係」がスムーズに行き、今までのトラブルが嘘のように解消されていきました。

それらの体験を理論化したものが「岡田式AC判別法」の始まりでした。
そしてこの理論は、未だに前述の「外見・大人な、内面・子供」タイプには理解出来ない、大変難しい理論になっています。

 

16、新宿救護センター(駆け込み寺)所長、玄秀盛さんとの出会い

新宿区社会福祉協議会の当時の担当者から、新宿で私たちと同じような活動をしている人がいるということで、玄秀盛さんを紹介されました。

★玄秀盛さんとは(Wikipediaより抜粋)
1956年、大阪府大阪市西成区の在日韓国・朝鮮人の家庭に生まれる。
中学卒業後、自動車修理工を皮切りに寿司屋、トラック運転手、靴屋、葬儀屋、キャバレー店の店長など28業種を経験した。
さらに建設、不動産、調査業など10社あまりの会社を起こす。サラ金も経営したため、ヤクザとの抗争も絶えなかった。
1990年に天台宗の僧侶、大阿闍梨酒井雄哉のもとで得度。
2000年に白血病を起こす可能性のあるウイルスであるHTLV-Iに感染していることが判明する。
2002年5月にはNPO法人「日本ソーシャル・マイノリティ協会」(JSMA)新宿救護センターを開設した。2011年7月、日本財団の支援を受けながら、日本駆け込み寺を設立。
2012年、日本国籍を取得。

お会いして話したところ、温かくて、とても素晴らしい人でした。
お互いの体験に共鳴して「一緒に活動をしましょう」ということになりました。
私は、玄さんの組織のテーマソングを作ったり、これまで玄さんが出演されたテレビの番組の録画を編集して1枚のDVDにまとめたりしました。
玄さんの方は「虐待死をまぬがれて」の配布活動を手伝ってくれたり、LOFTを始め玄さん主催のライブや様々な活動の場所に声をかけて頂いてゲスト出演させてもらったり、参加できるところはいろんな形で可能な限り参加させて頂きました。
その中でも一番心に残ったのは、AKK(アディクション問題を考える会)のセミナーで玄さんが体験談を話すので「聞きにおいで」と誘ってくれた時のことでした。

そこで玄さんの幼少期の体験や、新宿救護センターの活動の内容を始めてお聞きし、玄さんの方が私以上にすごい「虐待」を、親から受けて育っていた事に大変驚きました。
ところが玄さんにとっては「虐待」という認識が、全くありませんでした。
私が「玄さんもすごい虐待を受けてたんやねぇ」というと、玄さんは「俺は虐待なんて受けてへんで!・・・むしろ、ユキちゃんの幼少期の体験は性的虐待とかで酷かったなぁ、可哀想やったなぁ」と思いやりのある言葉をかけてくれました。
そこで私には、大変大きな疑問が湧いたのです。
玄さんは私と同じように、親から酷い目に遭わされていたのに「なぜ、虐待と言う認識が無いのか?」それが不思議で「どのような心の解決策があったのか?」大変興味が湧きました。

<そこで認識・民族・文化の違い>
1、玄さんと私は、生まれた国は同じですが育った環境や文化が違う。
2、よくよく考えれば、日本は朝鮮を併合して同じ国になりながらも、その後、韓国と北朝鮮は独立し、韓国と北朝鮮では日本との関係の歴史(正誤はともかくとして)を学生に教えていますが、私は朝鮮半島の歴史は学校では「高句麗・百済・新羅」その国名ぐらいしか習いませんでした。
3、私には玄さんを始め、在日朝鮮や韓国人の友人が幼少期から数多くおり、彼らの家庭が日本人家庭と違う事は良く知っていましたが、人種の違いを意識したことは今までありませんでした。
4、20代の頃に付き合った彼氏の両親は、父親が朝鮮半島出身で母親は日本人だと聞いていました。
そちらの家庭はとてもお金持ちでしたが、彼からお父さんの苦労話を聞いた時は、今思うと驚くような内容でしたが、当時は私自身が未熟で社会を知らなかったために、簡単に聞き流していました。

玄さんの凄まじい幼少期の話を聞いて過去の在日韓国人の友人達の話が蘇り、初めて「国」による文化や民族性の違いに気づかされたのです。
そういえば、作家の井田真木子さんや朝鮮王族・末裔の友人(驚いたのは、彼女は日本人以上に日本人らしいマナーと人間性がある)から、過去に聞いていた話を思い出しました。
幼少期、彼女(朝鮮王族の末裔)が道を歩いていたら、見知らぬおじいさんが自分に対して深々とお辞儀をしたので、彼女は非常に驚いたそうです。
家に帰ってお母さんにその出来事を話したところ「それでいいのよ、理由はあなたがもう少し大きくなってから説明してあげますから」と言われたそうです。
後に彼女は、朝鮮の身分差別を知り、この出来事に納得したそうです。
朝鮮半島では「身分による差別が激しい」と言うことを彼女からも聞きました。
日本人の士農工商など生ぬるい、壮絶な身分差別により多くの人が苦しみ、日本に密入国を試みるという事例が多々あったそうです。
前述の玄さんの話でも「お父さんが半島より密入国して日本に来た」と言う話を聞きました。
また、在日の人は、同じ朝鮮民族でありながら半島に帰るとより酷い差別を受けるそうです。
どうしても「恨(ハン)」の文化と儒教の「徳治主義」という思想がある以上、根深い問題のようです。

私は京都の西陣で生まれました。
私の幼少期、西陣は商業的に賑わっており、人手が足りない為に在日中国・韓国・朝鮮人の人達が沢山働いていました。
その関係から、私の友達には在日の家庭の子供が沢山いました。
子供ながらに、友達の中でもお金持ちの子と、極貧(食うや食わずでトイレすら家に無く、川でしていた)の子との、貧富の差が激しい現実を間近に見ました。
私の家庭は母親が強く典型的な「かかあ天下」でしたが、前述の友人達の家は、儒教の影響による上下関係が厳しく、なかでも男尊女卑が特に酷かったように記憶しています。
中には親が「密入国で日本に来た」とか、「半島から生活できなくて逃げてきた」といった話を聞いていました。
その友人の中には、親にものすごく殴られたり、蹴られたりして、怪我をしていたことも度々あり、今思うと完全に虐待事件だったと思います。

また、京都には部落(被差別部落・旧同和地区)と呼ばれていた地域があり、私の中学校の学区内にもありました。
もちろん同級生にも部落出身の友人がたくさんおり、私の中学校では年に数回、同和問題の授業が必須科目でありました。
その時は、同和地区の生徒達と私を含めた同和地区以外の生徒達とは、別の教室で授業を受けました。
私達の授業は、どうして被差別部落というものが出来たのか、その歴史から「狭山事件」を題材に日本における差別問題の原点を学びました。
放課後、学校の先生達が、彼らの為にその地区の隣保館に出向き、無償で一般の塾のような授業を行っていました。
私達はお金を払って塾に行っていましたので、先生と人間関係が深まっている友達をうらやましく思っていました。

玄さんの話によると「自分は親の愛情を全く知らず、父親が生きている間はずっと父親に対して恐怖心を持ち続けていた」という事を聞きました。
ただ一度だけ、先生の家で1週間生活することが出来た時に感じた安らぎや、小学生からアルバイトをして、自分で生計を立てて食べざるを得なかったという悲惨な体験も話しておられました。
私の場合は親や兄弟には虐待を受けましたが、私の家族以外の肉親からは、逆に親兄弟のように接してもらい、友人達のご両親にも大変可愛がって貰いました。
近所のお寺が小さい頃の遊び場だったのですが、そこの住職の奥さん(お寺のおばちゃん)にも大変可愛がられました。
私の母親は酷い差別主義者で「日本人以外の友達とは付き合うな」と、ことあるごとに言いましたが、私は差別と言う事に関しては、子供の頃から「人を差別することはいけない、人間はすべて平等である」ということをお寺のおばちゃんから学び、それが今でも変わらず心に根付いています。
ですので、虐待に関して親への疑問はありましたが、他人から沢山の愛情も貰い、おかげさまで今の私があると思います。

現在日本で起こっている「虐待事件」を分析すると、明らかに前述の人達が起こしている事件が多いと思います。
同じ民族内の思想による「虐待」に関しては、残念ながら私は関与することは出来ません。
私と玄さんの「幼少期の虐待に対する認識」は、お互いにその点は違うと思います。

最近の新たな問題として、夫婦で密入国した際、子供を半島の実家に残し、その夫婦が新たに日本で子供を産んで、日本人として生活しているという事例です。
当然夫婦は日本で産んだ子供に密入国した経緯は伝えておらず、子供を日本人として育てています。
その家庭に、半島に残してきた子供を日本に呼び寄せると、大きな問題が起こるようです。
日本で生まれた子供は、自分に兄弟がいる事をその時初めて親から知らされて、心の病に陥るケースが増えています。
表向きは日本人家庭に見えますが、家庭内での文化や教育は半島のものなので、子供は親に「あの人誰?・・・あの人今までどこにいたの?」とは面と向かって聞けず、今まで親の愛情を独り占めしていた子供ほど、親の愛情を二分することを嫌がって、自分の殻に閉じこもり、心の病に逃げてしまいます。
私だったら「あの人誰?」と親に聞いて、はっきりとその理由を問いただしますが、前述の子供は「そんなことは絶対に親に聞けない」と言って、頑なに現実から逃げようとします。
「親にはっきりと聞けない」とか「親に迷惑を掛けてはいけない」というようなクライアントに関しては、このタイプの家庭なのかも知れないということで、日本人の家庭とは違う文化に当てはめて関わって行くと、問題は解決していくようです。

虐待の問題に関与される関係者の方にも、その点を十分留意して慎重に対処して頂かないと、状況をより悪化させてしまう可能性があると思います。

 

17.自助グループの実態

玄さんを介して知ったAKKやNABA、JUST他という自助グループの活動をはじめて知りました。
都立松沢病院や中部総合精神保健福祉センターの精神科医で、日本に初めて「アダルトチルドレン」という言葉を持ち込んだ精神科医と臨床心理士が中心になって、患者の回復のために自助グループを作ったそうです。
アメリカのドラマでも最近よく目にするシーンですが、アルコール依存や薬物依存の人達が教会や公民館のようなところで車座になりお互いの体験を話し合ったり、手を取り合って祈ったりする光景を見たことがあると思います。
アメリカ心理学会の「12ステップ・プログラム」という手法を日本に持ち込み、自助グループの中で行っているようです。

サークル・ダルメシアンは、当時毎週木曜日にサバイバーズミーティングを行っていたので、前述の自助グループの会員になっている人たちが良く来ていました。
その時に自助グループの仕組みや精神科医との関わりの驚くような内幕を、彼らの不満として聞かされました。

1、精神科医が立ち上げた(若しくは配下の臨床心理士に立ち上げさせた)自助グループの会員(心を病んでいるということが前提のようです)に医師が診断書を書いて、その診断書を元に組織に関係する役所の職員が、会員の生活保護の申請を通して、そこから会費や研修等の参加費として、お金を徴収し、団体維持・運営の資金にしたり、精神科医の本を買わせたりしているそうです。
時には精神科医と共著とういう形で、会員個人が体験談を出版して、団体や運営側の利益にしているそうです。

2、会員は、生活保護費で生活を安定させる事が一時的に出来ますが、それに甘んじて仕事をする気が無くなり、自立する意欲を失うそうです。
なかには「それではいけない」と、自立の方向に向かう人達もいるようですが、組織の運営側から脅迫や弁護士等を使って法的な制裁をちらつかせらるようなことが多々あるため、負のスパイラルから逃げ出すことが難しくなるそうです。
つまり、依存症にしても、精神的病状にしても、回復して自助グループを退会し社会復帰して、一人で生きていくことが限りなく困難であるということよりも、組織から抜けるということの方が、より困難だという話を聞きました。

3、自助グループの中でも、いじめや虐待の問題が多々起こり、中には自殺した人もいたようです。
どのような事かと言いますと、病の症状やいじめや虐待の体験の酷い人があたかもヒエラルキーの上位にあり、新人で症状の軽い人をいじめたり、虐待したり、自分に対して敬意を払うように強制することがあるようです。

彼らはよく「そこつき(底付き)」という言葉を使っていました。
「そこつき」という状態を経験した人は、組織独自の価値観の中では偉いそうです。
その「そこつき」の意味とは、当時は「これ以上無いところまで、病で落ちるところまで落ちた」というような説明でした。
私の「岡田式AC判別法」によると、50%タイプのグループなので、子供が子供同士でルールを決めて、専門家もいないところで勝手にやっているので、大変危険で怖いと思いました。

4、精神科医に実験だと言われて、恋人として付き合ってもいない男女会員がホテルに行かされて「性的関係」を強要されるというような話も聞き「そこまでやるか」と失望しました。
彼らは、その話の後、自分たちの主治医や、組織のトップの精神科医の事に関しても「狂っている」と屈託なく言っていました。

「なぜ、そこから出て行かないのか?」と尋ねても、「自分は生活保護貰っているし、働きたくないから」と自信をもって述べ「あなたの子供はあなたの事をどう思っているの?」と聞くと「子供は私が病気だと知っているから、気を遣って、私の親みたいなことをしてくれるのよ」と、さも親子が逆転している事を当然のように言い切っていました。
また時には「生活保護以外にお小遣いが入ってくるんです」と言うので、どういうことか尋ねてみた所「テレビで虐待問題を取り上げたドキュメント番組等で、体験者として出演するとギャラ(報酬)が貰えるんです。それが最低10万円テレビ局から出るそうなんです。ところが私たちは収入があるとばれたら困るので、団体が受け取って後で半分バックして貰うんです」

確かに精神科医、臨床心理士の中には悪い人がいるとは聞いていましたが、日本を代表する組織の内輪話を、複数の当事者から何度も聞かされるので、彼らの話は作り話ではないと思います。
それらの会員たちは治す気も無ければ、むしろそのまま病んでいるほうが「得」だという思いが強く、私はこのような人達には関わりたくないと強く感じました。
何故なら私の親も含めて、虐待する親というのは、上記のような人達が多いからです。
私が助けたいと思うのは、彼らとは真逆のタイプの人間だということが、この時はっきりと自覚出来ました。
つまり大人で、自立して一般常識のある人達の事です。

この自助グループは組織自体を運営・維持するために、会員の退会を引き留めて、継続的に入ってくる収入を維持しなければならないという構造が出来てしまっているので、そこの組織に一度足を踏み入れると、抜け出すことが困難です。
会員になる人も、しっかりと吟味してどのようなところか確かめてから関わっていかなければ危ないと私は思います。

どんな組織を作っても、維持・運営するにはそれなりのお金は必要になります。
ただ、前述の自助グループの問題は「人の心を治して、自立を促し、社会に戻す」ということが、目的になっているはずなのに、維持・運営するための資金を外部から調達するのではなく、当事者の会費で賄おうとしているところではないかと、私は思います。
その結果、会員の退会を阻止する手段として「レベルの低い、子供じみたその場しのぎの方法を用いるために、何とお粗末で収拾のつかない結末になっているのか?」と、聞いているだけでももどかしく感じました。
何故、そのようなことが起こるのかというと、精神科医や臨床心理士自体が「岡田式AC判別法」の50%タイプで、自己中心的なので、上記のような結果になるのでしょう。

サークル・ダルメシアンは「病んだ人達を正しい方向に導き、社会に戻すこと」が目的で活動しています。
ですので私達は維持・運営のための一般会費は徴収しておりません。
日本人の虐待問題においては、殆どが発達障害の母親、特にアスペルガー症候群の傾向にある母親がAC(アダルトチルドレン)の娘・息子を選んで引き起こしています。
病んでいるといえども、インターネットやメディアの情報だけに頼らず、しっかりと自分に合った場所を探すということが最も必要な事だと思います。

 

18.いのちの電話

サークル・ダルメシアンの行っている無料電話相談に、時々「いのちの電話から紹介されました」と言って掛けてくる人がいます。
何故「いのちの電話」に相談した人が、私達のところに電話をかけて来るのか?大変疑問でした。

相談者から理由を聞くと「自分の所属している自助グループ(上記の)を抜けたいと、いのちの電話に相談したら、相談員がその自助グループの医師の名前を聞いたとたんに声が変わり、うちでは対応できません」と、相談を断られました。
しかし「サークル・ダルメシアンという団体ならば、助けてくれるかもね?」と教えてくれたので電話を掛けました。
と言って、電話を掛けてくる人がいます。

 

★「いのちの電話」とは
「いのちの電話」の活動は、1953年に英国のロンドンで開始された自殺予防のための電話相談に端を発しています。
日本ではドイツ人宣教師ルツ・ヘットカンプ女史を中心として準備され、1971年10月日本で初めてボランティア相談員による電話相談が東京で開始されました。
1977年、当時いのちの電話は全国にわずか5つのセンターでしたが、この市民運動を全国に展開するために、その中心的役割を担う組織が必要となり、日本いのちの電話連盟が結成されました。
その後この運動は飛躍的に拡大し、2011年10月1日には、いのちの電話開設40周年を迎える運びとなり、記念式典には、皇后陛下のご臨席を賜りました。
2016年現在、連盟加盟センターは49センターとなり、分室を含め電話相談を実施している都市は約60ヶ所、約6500名の相談員が活動しております。
*2015年相談件数 704,904件
(一般社団法人 日本いのちの電話連盟HPより抜粋)

 

 

コンテンツ

    少女

 

 

 

  ♪1996年、岡田ユキが♪
いじめ・虐待防止の市民活動団体
サークル・ダルメシアン」を
立ち上げました。   
岡田自身の子育てや幼少期に親から虐待を受けた苦しみを乗り越えた体験を元に、同じような苦しみを抱えている人たちの問題解決になればとの思いで、活動していたところ、仕事仲間の音楽家たちが賛同して集まりました。 ♪♪♪